第2回 審査員特別賞作品
「記憶が告げる、見えなかった危険」

The Essay Award

受賞者:高木 一

 

父の工場には、いつも細かな白い粉が、音もなく漂っていた。腕を動かすと、かすかに揺れる。それは何の音も立てず、ただそこに存在していた。窓から差し込む陽の光が、無数の塵を金色に染めるたび、私は掌を広げてそれらを掴もうとした。指の隙間をすり抜ける粒子は、雪のように柔らかく、しかし雪の冷たさは持ち合わせていなかった。

作業台の上で転がる真鍮の部品が、祖父の手の内で魔法のように形を変えていく。彼の指先には常に微かな白い粉がこびりついていた。昼下がり、鉄を切る音に合わせて粉塵が舞い上がる。その光景は、私の日常そのものだった。

「じいじ、これなに?」

私が工具箱から取り出した古い防塵マスクを振ると、祖父は笑いながら首を横に振った。「ああ、これは昔の飾りだよ」。彼はマスクを棚の奥に押しやり、代わりに麦わら帽子を私の頭に被せた。帽子の縁から見える彼の首筋には、粉が汗に混じって灰色の筋を作っていた。

工場は、鉄と油の匂いに満ちていた。祖父が機械を止めるたび、白い粉がゆっくりと床に積もっていった。

「お父さん、今日もマスクせずに」。母の声に祖父は肩をすくめて笑った。「こんなもの、息苦しいだけさ」。彼の笑い声が工場内に響くと、天井近くで眠っていた粉が再び舞い始めた。

帰り道、祖父の作業着の袖に触れた私の指先が微かに痒くなった。母が無言で私の手をハンカチで拭う。通り過ぎる自転車のベルが、遠くで工場の機械音と重なる。あの白い粉は、私の記憶の中で永遠に金色に輝き続けるものだと思っていた。

 

時は流れ、新しい街のアパートで、忙しなく過ぎていく日々に埋もれていたある日、ふとしたきっかけで祖父のことを思い出した。きっかけは、帰省した折に見つけた古い作業着だった。

押し入れの奥にしまわれていた祖父の作業着は、今も白い粉の名残を纏っていた。袖口を指でなぞると、ざらりとした感触が蘇る。あの工場の空気、機械の振動、祖父の笑い声――すべてが一瞬にして胸の奥に広がった。

作業着の匂いは、どこか懐かしく、そして少しだけ苦かった。幼い頃には気づかなかったが、今の私にはその苦味が妙に気になった。祖父が工場から帰るたびに、母が無言で作業着を脱がせ、丁寧に畳んでいた姿も思い出す。あの時の母の横顔には、どこか翳りがあったような気がする。

ある年の冬、久しぶりに祖父の家を訪れたとき、祖父は以前よりも痩せて見えた。咳をするたび、胸を押さえて苦しそうに息を整えていた。私は何も言えず、ただ黙って祖父の背中をさすった。祖父は「年のせいだよ」と笑ったが、その声はどこか遠く、響きが薄れていくようだった。

その夜、母と二人きりで台所に立ったとき、私は思い切って尋ねた。「おじいちゃん、最近元気ないね」。母はしばらく黙っていたが、やがて静かに言った。「昔から、無理をする人だったからね」。その言葉の意味を、私は深く考えなかった。ただ、母の手が作業着のポケットを何度も確かめるように撫でていたのが印象に残っている。

大学で安全管理や健康被害の歴史を知るうちに、祖父の工場で見た風景が、少しずつ違った色合いで浮かび上がってきた。あの白い粉、あの咳、あの作業着。すべてが、ただの懐かしい思い出ではなく、何か見落としていたもののように思えてきた。

それでも、私はまだ答えを出せずにいた。あの粉が何だったのか、祖父の咳が何を意味していたのか。心のどこかで「きっと大丈夫だったはず」と思いたかった。けれど、記憶の奥底で、何かが静かに警鐘を鳴らしているような気がしてならなかった。

夜更け。膝に抱えた祖父の作業着に、指で白い粉をなぞる。ざらりとした感触が、胸に棘のように残る。幼い日の自分が、何も知らずにその空気を吸い込んでいたことを思い出し、胸の奥に小さな棘が刺さる。記憶は、過去の断片を静かに語る。

あの頃の私は、何も疑わず、何も知らなかった。ただ、今になって思う。あの白い粉の中に、見えない何かが潜んでいたのではないかと。

 

春先は軽い咳、夏には疲れやすさ、秋には呼吸の乱れ、冬には胸の痛み。気づけば、一年前の祖父とは別人のように痩せていた。最初は軽い咳だった。やがて、その咳は長く、深く、祖父の身体の奥底から絞り出されるようになった。病院に行くことを嫌がる祖父を、家族みんなで何度も説得した。ある日、とうとう祖父は観念したように診察を受けた。

病院の待合室。時計の針が静かに進み、医師の口が開いた。医師の声が響く。『中皮腫です』。母が息を呑み、祖母のハンカチが静かに揺れた。医師の口から「中皮腫」という言葉が静かに告げられたとき、私はその意味をよく知らなかった。ただ、母が小さく息を呑み、祖母がハンカチで目元を押さえたのを覚えている。

家に帰ってから、私はインターネットで「中皮腫」という言葉を調べた。そこには、「アスベスト」という単語が何度も現れた。読み進めるうちに、私の記憶の中の白い粉が、ただの埃ではなかったことに気づいた。工場で舞っていたあの粉、祖父の作業着に染み込んでいたあの粒子。それは、アスベスト――石綿だった。

胸の奥に冷たいものが流れ込むような感覚がした。あの粉は、私にとっては幼い日の遊び道具のような存在だった。光を浴びて金色に輝く、美しい粒子。しかし、その美しさの裏に、目に見えない危険が潜んでいたのだ。

祖父は、アスベストを扱う仕事をしていた。断熱材やパッキン、さまざまな部品の中にアスベストが使われていたことを、私は今になって知った。祖父自身も、その危険性を深くは知らなかったのだろう。工場の仲間たちも、誰もが同じ空気を吸い、同じ粉を浴びて働いていた。

思い返せば、祖父の工場には、時折、咳き込む人がいた。誰もが「埃のせいだ」と言い合い、マスクをすることを面倒がった。作業場の片隅には、使い古された防塵マスクがいくつも積まれていたが、ほとんど誰も使っていなかった。私自身も、祖父に言われるまま、マスクを被ることなく工場の中を歩き回った。

ある日、祖父がぽつりと呟いた。「あの粉が、こんなことになるとは思わなかったな」。その言葉には、悔しさや悲しみ、そしてどこか諦めのような響きがあった。私は何も言えず、ただ祖父の手を握ることしかできなかった。

記憶の中で、白い粉が舞い上がる。幼い日の私が、無邪気にその粒子を追いかけていた光景が、今では恐ろしいものに見えてくる。あの時の私には、見えなかった危険。祖父の咳、母の沈黙、作業着に染み込んだ粉――すべてが、過去からの警告だったのだと、ようやく理解した。

祖父と過ごした工場の日々は、今も息づいている。しかし、それは危険の記録だった。

 

記憶は、時が経つほどに形を変えるものだと思う。幼い日の私は、祖父の工場を遊び場のように感じていた。白い粉の舞う空間は、どこか幻想的で、私にとっては秘密基地のような場所だった。

けれど今、あの風景を思い出すたび、胸の奥にひやりとしたものが広がる。祖父の咳がひどくなるたびに、母が黙って作業着を見つめていた理由が、ようやく分かる気がした。母は、何かを知っていたのかもしれない。あるいは、知らずとも、どこかで不安を感じていたのだろう。

祖父が咳き込むたび、工場の奥で機械が止まる音がした。静まり返った空間に、祖父の息遣いだけが響く。私はその横顔を見上げながら、何もできずに立ち尽くしていた。今思えば、その沈黙の中に、たくさんの思いが隠されていたのだ。

家族の会話も、思い返せばどこかぎこちなかった。母が「今日は工場に行かないで」と言う日、祖父は決まって「大丈夫だ」と笑って出かけていった。その笑顔の裏に、どんな思いがあったのか、今の私には少しだけ分かる気がする。

作業着を洗う母の手つき、祖父の手のひらに残る白い跡、工場の隅で眠る防塵マスク――。それらはすべて、過去の断片として私の中に積もっていた。けれど今、ひとつひとつの記憶が、まるでパズルのピースのように意味を持ち始める。

あのとき、私たち家族は「いつもの日常」を生きていた。けれど、その日常の中には、見えない危険が静かに潜んでいた。誰もが気づかないふりをしていたのかもしれない。あるいは、本当に何も知らなかったのかもしれない。

思い出は、ただの懐かしさではなくなった。祖父の工場で過ごした時間は、私にとって「見えなかった危険の記録」となった。記憶の中の白い粉は、今も静かに舞い続けている。

 

記憶は、ただの回想ではない。過去の風景を思い出すたび、その奥に潜んでいた警告の声が、今になって私の胸に響く。あの白い粉、祖父の咳、母の沈黙――それらは、未来の私たちへの静かなメッセージだったのかもしれない。

祖父の工場で過ごした日々は、今も私の中で色褪せることはない。しかし、その思い出が「危険の記録」へと変わった今、私はもう一度、あの場所に立ち返る必要があると感じている。見えなかった危険は、過去のものではなく、今もどこかで誰かを脅かしているかもしれない。

私たちが記憶を語ることには、意味がある。過去に何があったのか、どんな小さな違和感があったのか――それを伝えることで、未来の誰かが同じ危険に気づき、守られることがあるかもしれない。祖父の工場の白い粉は、もう私の手のひらには残っていない。けれど、その記憶は、確かに私の中に生きている。

静かに、しかし確かに、私は思う。記憶が告げる見えなかった危険を、これからも忘れずに語り継いでいきたいと。そうすることで、あの時の祖父の笑顔も、母の沈黙も、きっと無駄にはならないはずだ。

記憶は、未来への贈り物なのかもしれない。過去の警告は、ただの記録ではなく、未来を変えるための声だ。私は今日も、静かに歩きながら、その意味を探している。そして、語り継ぐことで、その声が誰かの未来へ届くことを願っている。