シンポジウム第1回 公共建築物の吹き付けアスベスト

Symposium 2004 : 1

シンポジウム:発症前の損害が認められた意義について

司会: 保育園の工事に関係して実際の損害があったわけですが、日本ではじん肺や肺癌や中皮腫という明確な健康障害が発症した後で損害賠償をもとめることが通例でした。しかし保護者と児童が、発症前ですがアスベストを吸い込んだ事による様々な被害について区と業者に裁判を起こされ、先日和解となりました。担当した弁護士の牛島氏にお話をお願いします。

牛島: こんにちは。健康対策は今のお話のように進んできました。事件から3年半経った頃に提訴致しました。法律や条令に基づいた届出や防護処置をすることなく工事が行われて様々な損害を被ったのですが、裁判をしてゆく中で事件のあり方・区の対応がいつどこで間違ったかの解明も含めて行ってきました。2004年4月に和解ができました。訴訟をするという人は園児と保護者の内のごく少数でしたが、和解では、原告以外の園児・保護者を含めて全員に区が謝罪をすることになり、内容を文に致しました。解決金の支払いは、原告側では慰謝料と捉えていますが、経済的損失および精神的な損害に対する分をいただくことができました。この中で、園児一人当たりに対しては見舞金10万円であることも書かれました。原告の園児は3人ですが、他の105人の園児への広がりを考えてこの程度の見舞金を払うのは相当であり、和解が促進するよう裁判官も動いてくれました。今後の健康対策も継続してゆくことが明記されていますし、万が一、将来園児らが発症した際この事故に起因するということになれば、区が治療費など費用を負担することが盛り込まれています。その他に、除去工事も区有施設を中心に現にアスベストのあるものはどんどん取って行くことになっています。これに年数を入れて、例えば5年以内に区の施設からアスベストをなくす、というように数値目標を入れて欲しいと要求しましたが、『将来の予算についてこの和解では決めかねる』ということで、漠然としたものになってしまいました。

 未発病のなかでこのような提訴をし、和解金・慰謝料が認められた意義ですが、未発病でもいろいろな意味で損害を負ったのだ、ということが裁判所を通じて社会的に認められたことが大きかったと考えます。確かに、経済的損失は金額に直せば少ないものです。アスベストの付いた子供の服は洗っても落ちないので捨てるしかありませんので買い直した費用や、除去工事の際に転園をした時の交通費、それにより親が子供を連れてゆく所要時間の増加と交渉に伴う勤務時間の減少、裁判の費用、弁護士費用、などの経済的損失が認められました。

 精神的損害ですが、こちらのほうが額としては大きいのですが、園児の将来の健康リスクが上がってしまったことが客観的に最終報告書で認められましたので、将来に健康管理を受けるべきとされました。健康な生活を送るために様々な制約を強いられることになったわけです。それは現在の精神的負担であると裁判所は認めました。裁判所は将来発生する精神的負担に対して今払えとは言えませんが、今現在の損失として、将来にわたって健康診断を受けなければならない、発症リスクが何倍にも上がるのでタバコの煙の多い所には近寄れない、将来の職業として工事現場に入るようなことはなかなか選びにくい、というように普通の人とは違っていろいろな制約があるのです。ということで現在の精神的損害として、今、払うべきお金でしょうということです。業者の人も相手にした裁判でしたが、業者は将来の損害はあるかもしれないが今はないのではないか、と何度も言っていました。が、裁判所はそのような立場をとらずに、これは現在の精神的損害です、それは工事をあのような形で行ってしまったことによるのです、としていました。

 園児は当時埃の舞う園の建物内で待機させられたことが非常に不安だったようです。特に、白い煙がモクモク上がる部屋の中にいて、庭に逃れようとしましたが、『今は園長先生がいないので待っていなさい』、と室内に閉じ込められたような状態に置かれた園児もいました。皆で不安になりました。また、数日後からの同じ園内での部屋の移動や、数週間後からの転園による不安感、同じ兄弟でも1人はこちら、もう1人はあちらの保育園と分けられたことへの不安感などが実際に生じました。親にとっても子供に健康被害がおこるのではないかと、トラウマの様になってしまった方もいました。

 夏のこの時期になると病変が夢の中に出てくることもあると聞いています。子の将来も、職業選択やライフスタイルの選択における事実上の障害が生じたのです。専門家も将来のリスクの上昇を認めたので、親の不安も客観的にも合理的であり、単に慎重でありすぎるということではないということです。このことを裁判官が認めて和解を勧告したのです。

 将来生じる損害は決してわからないので、これからアスベストの悲惨を防げるのなら損害を低く抑えられるのであり、そうではなく白い煙がモクモク上がるならば、将来の健康の影響はかなり大きくなるでしょう。将来のことは未定なので裁判で解決はしていませんが、今までのことは解決して行こうということです。

 2番目の意義ですが、違法行為がコスト上見合わない、と思うことにより事前の違法抑止効果が期待できるのではないかということです。本件でも設計図にはアスベストの商品名がきちんと書かれていまして、昭和48年頃の改築設計図書によると、すぐに商品名がわかるのです。建築をやっている人であればこれを見落とすことはありえないはずです。業者は知っていましたとは言いませんでしたが、やはり基本的にコスト削減の為としか考えられません。とするとこのような違法を行えば、結局見舞金など多額な出費を迫られることを知らしめておく意義は大きいと思います。

 今は経済的損害としての見舞金は1人10万円ですが、園児は108人なので計1千80万円と決して少なくないのです。今回の見舞金は原告のみですが、裁判の和解の席で区の代理人が言っていましたが、文京区は108人分の負担を出す覚悟でいるということです。今この件に関して、原告とならなかった他の園児・保護者のために、区と交渉をしています。10万円の見舞金は少ないかもしれませんが全員に広げることによって、違法行為をするくらいなら事前の防護措置をやろうという方向に持ってゆくことが目的です。

 3番目として、本件の訴訟はアメリカでいう、クラスアクションの機能があると思います。裁判をすることはいろいろな負担を生むことになりますが、時間的・経済的・身分関係から訴訟をためらうこともあります。裁判を一定の被害者が代表をして行った場合、アメリカでは裁判の結果を同じクラスの人・同じ被害を受けた者に効果を及ぼすという法的措置があります。恩恵を被害者が全員で共有できるのです。日本にはこれはなく、環境問題をやるNPOや弁護士はこれを入れて欲しいと思っているのです。今回は謝罪を全園児あてにしています。保護者へも文書上で謝罪しています。和解文が全園児と保護者へ届けられるということではないので不十分ですが、原告だけではなく全体の問題だということを常々言っております。見舞金について、区は108人に広がることを考えて10万円にしましたが、全ての園児に広げることで裁判の機能を広げることができればと思っています。

 余談ですが、裁判過程の交渉では裁判官が積極的に和解を推薦してくれました。このような裁判が出るにはやはり裁判官が積極的であることも必要な条件になってくるようです。今回は、裁判期間の短縮化を目指すモデルのような部に配属されたのが私達には有利だったようです。証拠の収集についても、普段は区が出したがらない様な物も、原告弁護士が行って区の職員に聞き取りして下さい、その日程を設定して下さい、などと裁判官が積極的に関わってくれました。このような感じで重要な証拠が開示されてきました。内部に、このような物がある、ということもその過程で掴む事ができ、区はアスベストの存在を充分に知りえたという証拠が揃いました。検討委員会の中でヒヤリングが非常によくされていましたので、裁判所に挙がってきた被告の発言と委員会でのヒヤリングでの発言が矛盾することは少しありましたが、わずかでした。普通の裁判では全く違うことを言うことがよくあります。区は実は和解を受け入れようとはしませんでした。最後まで抵抗したのは区でした。他の業者3社の被告を取り下げて区のみへの訴えにすると告げたところ、区のみを被告とされると区への社会的ダメージが非常に大きいと考えたのでしょうか、和解に応じたのです。

 世界的にもこのようなケースは珍しいらしく、国際的なアスベストNGOに『未発病でこのように解決できました』と英文を送ってもらったところ、「それはすごい」という反応がありました。アメリカでもなかなかこういうことでは政府は‘ウン'とは言わないということでした。要因としては、検討委員会で委員が事件のヒヤリングを十分していました。区の最終報告書は園児の健康リスクの上昇を指摘していました。曝露のシミュレーションも幅がありましたが、高めの数値も考慮していただきました。訴訟となることでのアピール力、社会的不名誉をできるだけ回避しようということも、有利に働いたと思います。

 今後の問題ですが、見舞金10万円の件が原告にならなかった保護者と園児には伝わっていません。私たちにはなかなか説明をする機会がないのですが、文京区としては、他の保護者と園児にはこれをなるべく伏せておきたいということで、『和解上、10万円位であれば108人に広がっても良いと判断した』というような情報も教えていません。そういう点でもクラスアクション的機能を果たすべきだと思います。日本ではクラスアクションはありませんが、第二次・第三次の訴訟を起こすということを告げることにより、当初の約束を守って欲しいと思います。資料の和解文には、見舞金は3人なので30万円を支払うということ、適切な注意を欠いてアスベスト曝露事故を起こしたとして『原告らはじめ園児その保護者の皆様に大変ご迷惑をかけましたことを心から深くお詫びします。今後このようなことを起こさないように誓約します』というようなことを文京区も謝罪文に書きました。この裁判は原告だけではなくその他の園児や保護者に関しても視野に入れながら行ったものです。今後このような裁判は多分増えてゆきある程度定着してゆくのではないでしょうか。以上です。

<<前のページ | 次のページ>>